My Life After MIT Sloan
みなさま、ご無沙汰しております。
今年5月に最後のエントリをを書いて以来、半年間ずっと書いていなかったブログを久しぶりに再開することにしました。久しぶりに開いたら、いつのまにかFacebookやはてなブックマークとも連携できるようになって便利になっていて、ちょっと浦島な気分。
何故ずっと書いていなかったのか、と言われると、単に創作活動をする精神的余裕が無かったのだろうと思う。仕事も忙しかった。でも、今年1月のエントリ「私が人生の進路変更をした理由」で書いたとおり、「書く」という時間は、私にとって最も大切な時間で、精神的にも一番落ち着く時だ。特にブログは、書くことですぐに人とつながれるのが楽しく、やはり自分のホームベースだと感じている。だから少しでも書く方がよいとわかっていたが、ずっと書いてないと、「あ〜すごく面白いことを書かなきゃ〜」というプレッシャーがあってなかなか書けなかったりする。正直言うと。
でもそうすると、悪循環にはまって本当に書けなくなる。だから今日は、TPPがどうとか、異論反論が出るようなことは書かず、とりあえずさらっとした話題を書いてリハビリしてみようと思う。
さて。
多くの人は、小さいころ「将来はプロ野球選手になる」とか「歌手になる」とか「世界一周旅行をする」など、いろいろな夢を持っていたと思う。でも、大人になってから「私は絶対にXXになる」「XXをする」という夢や希望を常に持って生きている人って、果たしてどのくらいいるのだろうか。
"モネ正午grainstacks "はどこにありますか?
大学生で就職活動をするころから現実的になり、または挫折を経験して、夢は持たなくなってくる。そして社会人になると、仕事や家庭、あるいは恋愛、単純に日常生活で忙しくなって、夢など持つ余裕が無くなってくる。そして、その日常生活を維持しつづけるために、お金を稼ぐために仕事をし、そのための生活をし、老後のためにに貯蓄する。その中では、おいしいものたべたい、とか、楽しいことしたい、といった小さな目標はかなうかもしれないが、本当に自分が人生の中でやりたいことって、後回しになってないだろうか。そのせいで、自分の中に小さな空虚感がないだろうか。
人生は一度しか生きられない。
自分が小さなころから本当にやりたかったことや夢を叶えないで生きるのは余りにもったいない気がする。
一度、自分が本当にやりたいことを一度思い描いてみたらどうだろうか。バカみたいと思うかもしれないけれど、子供のころの大それた夢をもう一度持って、それを目標として明確にし、それを達成するためにやるべきことを少しずつやってみてはどうだろうか。そうすると、毎日の生活が輝いてくるし、目標に向かって歩んでいると思うことで自分の人生が満たされてくる。
例えば「歌手になる」という夢を持っていた人は、その夢を思い出のタンスにしまって老後に取り出すのではもったいない。今から目指すなら、いつまでにどのような歌手になるのか、というのを、具体的に思い描いてみればよいと思う。そしてそれを達成するために、仕事や家庭の合間の時間を少しずつ、本当に歌手になるために使い、積極的に行動してみたらどうだろうか。
シニアの男性が若い女性の周りに馬鹿と軽薄行動する理由
週に一度でもスタジオに通ってボイストレーニングをし、毎日少しずつでも発声練習をする。オーディションの情報を探し、一緒にバンドを組んでくれる人を探す。スタジオの先生や周囲の親しい友人には、自分の夢を話す。夢は目標として達成できるものだという思いを共有できる同士を見つける。自分の夢を周囲に言い続けるのは大切で、そうすると人の縁もあって不思議にチャンスが回ってくることがあるのだ。もちろん、誰もが2009年にイギリスの歌番組で突如大成功したイギリスの48歳のSusan Boyleのようにはなれないし、ならなくてよいのだが、自分として現実感のある夢を達成することは出来るのではないか。
あるいは「スペインに移住する」というのが夢であれば、スペイン語を勉強するのはもちろんのこと、スペインのどこに住むのか、どのような仕事が可能そうか、その仕事をやるために必要なスキルはどういうものか、を具体的に考えて、明確な目標を立てる。あるいは今の仕事から、スペインに近づく仕事に就くためにはどうするべきかを考える。そして情報収集や、語学やスキルを得るために日々の時間を使っていけばよいと思う。
夢をかなえるのは、仕事を引退した老後とか、子供が大きくなってから、と後回しにしている人が多いのではないか。もちろん、仕事や家庭で過ごす時間は楽しいし、小さな幸せもある。また、仕事も子供も責任を伴うものだから、自分の夢などは後回しにして、と責任感ある大人なら誰もが思うだろう。
もし、それで今の自分の生活が満たされているなら、無理に夢を持てとは私は思わない。もし、それだけで満たされていないのだとしたら、たった今から、夢を目標に変えて、自分の時間を少しでも使い始めることをはじめても良いのではないか、と私は思っている。
かまれた衣服を購入する場所
夢なんて、もう無いよ・・、と言う人へ。そんな人は、今の自分がやりたいことをどうでも良いことでもよいから書き出してみたらよいと思う。書いているうちに、少しずつ、自分の夢というのは固まってくるようになる。人間、大きな挫折を経験したり、大切な人をなくすなどの大事件があったりすると、自分の夢や希望なんて無くなってしまうものだ。でもそういうときこそ、逆に自分の小さなころからの夢に近づくチャンスかもしれない。
私が大学一年のときの同級生に、39歳で大学に再入学された方がいた。彼は昔から医者になりたいと言う気持ちはあったが、別の職業を結局選んだという。ところが30代後半になって大きな病気をされて長期入院し、会社を辞めた。そのときに、一度自分の人生は止まってしまったのだから、ここで医者になるという夢を叶えてみようかと思ったのだそうだ。今はもう医者としてのキャリアを歩み始めて、7,8年はたつのではないだろうか。
思い起こせば私もそうだった。
小さいころから「科学者になって、世の中の人々の考え方や生活が変わるような大きなインパクトのある研究をする」という大それた夢を持っていたけれど、夢破れて、かつその夢よりやりたいことを見つけてしまったため、今は別の分野で仕事をしている。でも、小さいころから一貫して思っているのは、私は人々に勇気を与えて、奮い立たせ、人を動かして、世の中に良いインパクトを与えることがしたいということだった。途中で、結婚して子供を産んでという人生を歩む選択肢もあるかもしれない、と考えてみたり、まあ色々と迷いはあった(でも結局やめた)自分の中で色々なやりたいことの優先順位をつけてみると、日本企業のグローバル化をどんどん成し遂げるとか、物書きとしてたくさんの人の心を動かす、という方が� �分の小さいころからの夢に近いということに気がついた。だからそれを目標とし、次は35歳までに何を達成しようかと、具体的な目標を設定することにした。こうすることで、どんなに忙しさに忙殺されていても、自分の芯を失わず、わくわくしながら日々をすごすことが出来る。
こうして、小さいころの心のタンスにずっとしまわれていた、「夢」と言う名の洋服に、現在の自分らしいアレンジを入れて「目標」として仕立て直すと、もう一度着始めることが出来る。そうすることで、小さいころからの自分の人生が、一貫したメロディとして突如、流れ出すようになるのだ。
また、描く夢のいくつかは今の自分の仕事や家庭に結び付けて考えても良い。私の場合、日本企業の組織のグローバル化を何件も成し遂げる、という夢は現在の私の仕事の中で達成できることだ。こういう目標があると、仕事そのものに張り合いが出て、とても楽しくなる。
こういうのを一度書き出してみると、結構楽しくなって、いくらでも出てくる。しかしそこで満足してはダメで、XX歳までに達成する、という目標を立てたら、次にその目標を達成するためにすべきことを明確化する。これが日々の目標になり、あとは大きな夢を達成するために、自分の毎日の時間を使っていく。
大人になって、現実を知るにつれ、「夢」など無くなっていくことが多いだろう。そっと心のタンスにしまって、もう着なくなってしまっている人が殆どじゃないだろうか。ステキな服だから、本当は着たいのに、そんな若いときの服、恥ずかしくて着れないと思っているかもしれない。それで老後にそっと取り出して、目立たないように着てみようとか思ってはいないだろうか。タンスにしまってある若いころの「夢」も、現実感を与えて仕立て直すことで、今でも十分に着られるものがたくさんある。恥ずかしがらずに取り出して、現実的に仕立て直してみたら、日々の生活が「ただ生活するだけ」のものではなくなり、張りのある日々をすごせるのではないかと思う。
私は「どんな夢も、今から目指すには遅くない」なんて非現実的なことは言わない。フィールズ賞を取るとか、世界的なサッカー選手になるとか、ファッションモデルになるとか、歳をとってからでは無理な夢もあるだろう。だけど、それらの「夢」も素材はそのままに、仕立て直すことで、今からでも追い求められるものは結構あるのではないだろうか。大人になって「夢を持つ」なんてバカバカしい、なんて思わずに、一度考えてみたらどうだろう。
参考:
人生には「選択と集中」が大事な瞬間がある −My Life After MIT Sloan (2011/03/08)
私が人生の進路変更をした本当の理由−My Life After MIT Sloan (2011/01/08)
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